稲荷山=薯蕷
旗・面=生砂糖






人形・紅葉・縄・鞄=生砂糖






おたふく=薯蕷 桜=こなし
葉=有平糖






後列左より=木の芽焼、わらび餅
前列左より=粽、かしわ餅、
岩根のつつじ


 男の子を祝う節句は、5月5日の端午の節句、菖蒲の節句とも呼ばれ、古くからこの日には、魔よけとして、菖蒲やよもぎを軒先にさしたり、菖蒲湯をわかしたり、粽や柏餅を食べたりしたが、男の子のある家では、この粽や柏餅を親類や知人に配った。
武者人形や鯉のぼりを飾って祝うようになったのは江戸時代になってからで、粽は中国の風習がそのまま伝えられたもので、紀元前277年の5月5日、楚の政治家であり詩人であった屈原が、秦の始皇帝に滅ぼされる祖国の運命を嘆いて、汨羅の淵に身を投げた時、その霊を慰めようと竹筒に米を入れ命日に川に沈めたのが始まりである。日本渡来は平安前期と見られる。粽の名は、餅米をチガヤの葉で三角にくるみ、イグサでくくって灰汁にひたし、蒸した事に由来する。柏餅は江戸時代(正保年間)に作られ、うるち米の中にみそ餡を包み、カシワの葉でくるんだものが多く、後に塩餡にかわった。
<粽 柏餅>



 
[母の日]
国際的な行事の一つで、5月の第2日曜日は世界中の子供達が自分を育ててくれた母親にたいして感謝を捧げ又、亡き母の冥福を祈る日である。その起源は1970年、アメリカのアンナジャービスという少女が亡き母を偲ぶ盛大な記念の会を催したとき、霊前にカーネーションをたむけたことに始まる。
さらに、彼女は他の人々にも母の愛の偉大さを伝えようと、母の日の設定運動を始めた。その後、各地でも行われるようになり、1908年には百貨店主ジョンワーナーメーカーが5月の第2日曜日に自分のデパートに赤と白のカーネーションを飾り、母の日の記念として開いたのが評判となり、1914年ウイルソン大統領時代、この行事が、その後次第に全世界に広がったものである。
我国では、1915年アレンサンダー女史により紹介されて、この日を守る運動が始められたが、それほど盛んにはならず、戦後の昭和23年に復活してから、年を追うごとに盛んになり、いまでは国民の重要な年中行事の一つとなっている。我が京菓子業界でも工芸菓子の技術をいかして、生砂糖製のカーネーション等が作られるようになった。
<飾り菓子 カーネーション>

[父の日]
1910年アメリカ、ワシントン州のJ・B、ドット夫人が6月第3日曜日に亡父の墓前に蔓バラを植え、毎年この日に白いバラを持って墓参したのを記念して制定されたといわれる。
<飾り菓子 生砂糖製バラ>

写真は、京菓子協同組合青年部 穏歩前進・美味創心より掲載。
当ページに掲載されている情報・画像を、無断で転用・複製する事を禁じます。