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桃の節句は上巳の節句、弥生の節句などという呼名がある。上巳の節句とは、旧暦3月3日が12支の上の巳の日であるところから始まり、雛人形を飾り、白酒、桃の花、菱餅などを供えて祝う。この風習は古くからある雛遊びと、中国から伝来した厄払いが一つになったものである。昔はこの日を迎えると「上巳の祓い」といって、紙人形に生年月日を書き込み、祈祷を受けて身代わり人形として汚れを移し、無病息災を念じつつ3日の夕方に火を灯して川に流した。菰(こも)に包んだ供え物を添えて流すこの紙人形は、厄払いを意味するものであった。京都の宝鏡寺は人形の寺として有名で光格天皇遺愛の人形を始め、内裏雛を中心に雛人形が赤毛氈を敷き詰めた雛壇に飾られる。 |
<草もち 桜餅 引菓子 菱餅 引干切>
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鏡餅=薯蕷
門松・書初め・しめ縄=生砂糖
炎=有平糖
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本来は、1年365日の毎日が彼岸、すなわち“悟りの世界”へ渡るための修業をする日であったが、それには耐えられそうもないといった理由から、それならせめて1年の中でも何となく修業しやすい季節だけやってみようと、1年に2回、春と秋に彼岸会をするようになったと考えられる。春分、秋分を中心とした前後の7日間をその日に決められた。以上の理由で彼岸会はもともと修業期間であり、中日の前後3日間の1日ずつに布施(施し)・持戒(戒律を守る)・忍辱(がまん)・精進(努力)・禅定(心の統一)・智慧(正しい洞察力)という、六波羅蜜とよばれる六つの実践行の一つずつを実行する行事であった。
仏教では、私達生きている者は、“此岸”と呼ばれる迷いの世界にいるわけで、何とかして悟りの世界である“彼岸"に渡りたいというのが、人間共通の願いである。その彼岸に渡るために必要なさまざまな実践行の中で六波羅蜜がもっとも重要な実践とされた。浄土教の流れが盛んになるにつれて「彼岸」をあの世と解釈するようになり、すでに亡くなって仏と成った人々を供養し、その事を喜ぶとともに、ご先祖に感謝する気持ちから、ご先祖のお墓にお参りするようになった。
代表的なものに、おはぎ(ボタモチ)がある。春の彼岸にはボタモチ、秋の彼岸にはおはぎと呼んだ。しかし実は同じ物である。おそらく春の場合はやがで咲く牡丹の花に似ているからボタンモチと呼び、秋の場合は萩の花の咲く頃につく餅だから、萩のモチ、おはぎと呼んだと思われる。 |
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<おはぎ>
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4月初旬になると、小学校から大学までの新学期が始まるが、近年は年ごとに家庭の祝事も盛んになってきたようである。この入学を祝って親族、知己からいろいろの贈り物があるが、返礼にはやはり菓子折がくばられる。
したがって、4月に入ると、赤飯、紅白饅頭、入学祝にちなんだ引菓子などの受注も多くなる。掛紙は、ピンク、白のぼかし地に内祝(赤)と印刷したものを使用する。 |
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<赤飯 紅白饅頭 引菓子>
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写真は、京菓子協同組合青年部穏歩前進より掲載。
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