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時雨・村雨 謡曲の一節に「四方の梢も色々に、蛍に彩る夕しぐれ、濡れてや鹿のひとり啼く・・・」とあるが、紅葉は時雨が染めるものらしい。 時雨とは、晩秋から初冬にかけて降ったりやんだりする雨のことである。 いつだったか。桑名のハマグリをもらったとき、そのしおりに「しぐれ」の「し」は「しばし」、「くれ」は「暗し」の意で、時雨で色づいた草木の色が時雨煮の色と書かれていた。 関東の菓子に「時雨」というのがある。小豆あんに上新粉(米の粉)と新引粉(道明寺粉)を混ぜソボロ状に裏ごしたものを蒸してつくる菓子だが、京菓子ではこれを「村雨」といっている。 「村雨」は、秋から冬にかけて降る“にわか雨”だから人の気質で言えば、関東が村雨で京都人が時雨のように思えるのだが・・・。 今は、村雨製の菓子といえば“雲竜”や“京観世”のような村雨で粒あんを巻いた棹菓子(さおがし)を連想するが、ひと昔前までは村雨で粒あんを巻くという事は技術的に考えられなかった。ソボロ状にした小豆あんを障子の桟のような囲いものに詰め込んで蒸したり、茶溜を利用して形をととのえたり、白あんに卵の黄身を練り混ぜて「黄身しぐれ」につくったりした。 昔の菓子職人はソボロ状の菓子の表面がバラバラとくずれるさまを木枯らしが吹き始める頃に降る時雨に表現したのであろう。 むらさめの 露もまたひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ (寂蓮法師) |
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きんとん〜菜の花の咲き誇る姿を 庭に咲いた“紅椿”の花芯が珍しいから覗き込んでいて、ふとその事に気づいて赤面した。 詩人の上田三四二氏が『花に逢う』という本の中で、花は生殖器であると書いていたからだ。動物は恥じらい、植物は咲き誇る。 「引千切(ひきちぎり)」というのは、ひな祭に供える京菓子である。私が小学校の頃だったか「近くの菓子屋にでんでん虫(蝸牛)が売ってる」と家に駆け込んだことがある。後年、菓子作りをするようになって、それは女性にしてあるのだと知り、再び驚いたものだ。菱餅の形もそれをかたどったとの説があるが、どうだろう。 『たべもの辞典』には、菱餅は、菜種の花の形であると書かれている。菜の花はスタミナを蓄えるためにたべられるとも。スタミナは精力のことだから、菜の花のおしべ(雄芯)の生殖エネルギーを食べることであるらしい。 菜の花が、精力的に春の野一面を黄色に染めて咲き誇る様子を、きんとん仕立てにした茶菓子が「菜の花きんとん」である。 白小豆のこしあんを青緑色に仕上げ、裏ごしてハシでつくねて、上部に黄色を散らしてつくる。 きんとん(金団)は、8種の唐菓子の中の一つ「飩」というものであったが、日本に渡った頃からモチ粟を材料としてつくるようになり、その色どりから「金団」または「金飩」の字をあてた。 もっと古くは橘飩とも書いたようだが、橘飩は普茶料理の語といわれる。これは小麦粉に黄色く着色したものを丸めて茹でたものである。 いずれにしろ、金は黄色であり飩は蒸しもののこと。金団の団は“あつまり・かたまり”の意味でイモや栗を煮て黄色に染めつぶしたものが固まっている、それを金団という。 江戸末期には「巾飩餅」というアン餅があったと伝えているが、これは今、和菓子屋が「月見」のときに作る、団子にを被せたような形であったのかもしれない。 とにかく、きんとんは文化・文政のころから“あんそぼろ”をつける菓子となり、いまでは、染め色を変化させることによって、季節感を演出するにふさわしい茶菓子となっている。 春は花。万物の開花から果実への無病息災を神仏に祈りたい。 |
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写真は、京菓子協同組合青年部結成20週年誌より掲載。 |
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