橘=上用・こなし
人形=生砂糖・片栗

桜=有平糖・生砂糖


 雑節の一つ、五行説の立場から春夏秋冬の四つの時期のほかに、もう一つ割り当てる必要から設けたと言われる。四季にそれぞれ18日づつ入れてある。立春の前18日間を春の土用と言い他も同様である。夏の土用は極暑、冬の土用は極寒の候にあたる。いまでは普通に土用というと夏の土用の事である。

[土用干し]といって衣類や書物、掛物等の虫干しをしたり<土用餅>と称して餅を作ったりする習わしがある。土用の丑の日に下鴨神社では御手洗祭が行われ、境内の糺の池に足をつけて、身体を清め、無病息災・安産を願うという習わしがある。
<あんころ(土用餅)>

数珠=こなし
ふさ・桜=生砂糖


 
 時期は、7月〜8月の初め頃。昔は出産・病気・不幸又は普請とか留守の時に、その人達を力づける為に訪問する事だったが、今では日頃お世話になった人に贈り物をする。交際社交の範囲が広がり、更に交通が発達するにつれて、見舞いや贈答の相手も急激に増大し、中元セールが行われ、暑中見舞いのはがきが人々の心をなごませる。
お中元は中国に発するもので、正月15日を上元、7月15日を中元、
10月15日を下元と称し、これを贖罪(しょくざい)の日として金品を捧げて罪ほろぼしをする事になっていた。中でも最も重んじられたのが中元である。従って正しくは中元とは7月15日の時期の事であるが、次第にその時の贈物を意味するようになると同時に、暑中見舞いとも混同されている。暑い夏であるため流し物の進物品等が好まれる。
<水羊羹 琥珀糖>

向月台=落雁 銀閣=有平糖
大文字=きんとん



 旧暦8月1日の行事。この日は徳川家康が江戸入府した日であるといい、幕府では正月とともに特に重んじていた。八朔行事は古くからあり、中世の頃に武家方や公家衆の間でも田の実りの節供を祝い、そして贈り物をする習俗がはじまった。もとは神への供物であったが封建社会では主従間の贈答にかわり、さらに民間に逆に流行した。また近畿一帯では八朔休みといい、この日から昼寝をやめ、夜なべ仕事が始まった。江戸時代以降奉公人達がつらい思いで休日を迎えた。<八朔の泣き豆><八朔の苦餅>などこの日の食物を呼んでいた事からもうかがわれる。

写真は、京菓子協同組合青年部美味創心より掲載。

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